私は以前から反芻思考に悩んでいます。

昔は「反芻思考」という言葉を知りませんでした。

ただ単に「自分は根に持つタイプなんだ」と思っていました。

終わりのない反芻思考に悩まされ、生きるのがつらいと思い出しました。

一生、こんな思いをするのかと思うと生きた心地がしません。

自ら命を絶つ人の気持ちがわかります。

「死んだ方が楽」

しかし、幸い死のうとはしませんでした。

現在がつらいからこそ、未来には希望を抱いており、やりたいことがたくさんあります。

このつらさから抜け出したいと思い、精神科に駆け込みました。

ASD、ADHDと診断され、二次障害でうつ病も併発。

この診断を受けた私は肩の荷が下りました。

「発達障害かぁ。じゃぁ仕方ないか。生きづらいのは当たり前だ。」

自分が発達障害だと診断されるまで「発達障害=ハンデを背負っている人」というイメージでした。

発達障害は、発達凹凸という言い方をするそうです。

人より苦手な分野が多いだけで、ズバ抜けて優れている分野もあります。

発明家も発達凹凸が多いそうです。

(私がズバ抜けて優れている分野があるかは不明です)

発達障害を持っている人は子供頃からできない事を指摘され過ぎて劣等感が強いです。

親、兄弟、先生、クラスメイト、上司、同僚などにたくさん傷つけられてきました。

理解してくれる人はほぼいません。

私も「反芻がつらい」と打ち明けた時に「覚えてるっていいね」と言われたことがあります。

愕然としました。

反芻がどんなにしんどいことか体験した人でないとわかりません。

発達凹凸同士でも症状が違えば理解し合うのは難しいです。

なので定型発達人に理解してほしいと思うのは無理なのかもしれませんね。

精神科の先生も理解していない様子でしたのでお手上げ状態です。

私は現在も反芻していますし、人混みもストレスです。

しかし、今は理想の世界を想像しながらニヤニヤしている時間が増えました。

少しずつですが反芻の回数や時間は減ってきています。

理解し合える人が集まるコミュニティを作るのが目標です。

最後まで読んでいただきありがとうございました。